前回は過去の大和栗園が過去どのように運営されていたかを書きましたが、今回は変化のきっかけを書いていきたいと思います。
祖父母が亡くなり1990年代後半には母・京子(現在の園主)が中心の運営に変わりましたが現行踏襲で細々と観光農園を続けていました。
ただやはりずっと思うところがあったのでしょう…
それはズバリ、「トイレが汚い!」
園主が感じていたこと
当時はまだ汲み取り式のトイレ(所謂、ボットン便所ですね)しか売店に設置していませんでした。
園主は
「こんなんじゃ若い人(特に女性)は二度と大和栗園に来てくれない。」
「年配の人にだって優しいバリアフリータイプが必要」
「トイレはキレイな状態でお客さんをお迎えしたい」
と考えていました。
私も子どもながら売店のトイレは使いたくないなーと感じていました。
平成生まれの子どもからしたら至極当然かもしれません。
そこで園主は売店を今の場所に移動する決断を下しました。
それが2013年のことです。
今思えばこれが変化のきっかけだったのではないかと思います。
結果として売店を現在のガレージに移し、トイレもバリアフリータイプにしました。
近所の農家では珍しい女性園主であり、祖父母の介護を経験した母ならではの目線が活かされた判断だったように思います。
そんなの今の時代当たり前じゃん?ということかもしれませんが、そうでなかったんですね…。
息子の目線から言わせてもらうとホームページやFacebookだったりのメディアも全ての農家が運営しているわけではないですし、「当たり前」や「一般的」がそうではないのが農業だったりするように思います。
そして「焼き栗」の登場
そして時を同じくして大和栗園の生命線ともいえる武器が導入されます。
そう、「焼き栗」です!(厳密にいえば焼き栗を焼く圧力釜)
母がどこからか噂を聞きつけて購入した圧力釜が大和栗園の名物となり、結果としてテレビ放映(次回以降記載します。)をきっかけにお客様が殺到するとは夢にも思いませんでした。
当時は茹で栗よりも短時間で作れるし、売店移動しても茹で栗用の釜を設置するより楽だよねーくらいだったので、どう転ぶかわからないもんですね笑
焼き栗は野球で例えるならば、、、大和栗園のエース!?いや、四番!?扇の要!?
何でもいいんですが、それだけ重要な戦力、ということが言いたいわけです、はい。
(いいキャッチコピーがあったらぜひアイディアください笑)
ちなみに近隣の農園さんにもあるところはありますし、特段珍しいというほどではないのですが、俗に言うポン菓子やバクダンをつくる釜を焼き栗用に改良したのがこの釜です。
焼きあがった栗を出すときの音はなかなかのボリュームがありますが、それと同時に漏れてくる焼き栗の香ばしい匂いと鬼皮の切れ目から顔をだすホクホクに焼きあがった黄色い栗を見る瞬間はなんとも言えない瞬間です。
今ではシーズン中毎日稼働して1日に10回以上焼き栗を焼くことがあります。(1回で焼けるのは約3kgなので30kg以上!!)
お子様は初めて見る機械に興味津々ですし、大人の方は懐かしい気分に浸ることができるというなかなかキャッチーな立ち位置なのがこの圧力釜ですね笑
ということで今回の話をまとめると、、、
・売店を移動してトイレをキレイにした
・焼き栗用の圧力釜を導入した
というのきっかけに大和栗園の変革が始まるのでした。
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